明鏡止水

割とちゃんとまとめた感想とぐちゃぐちゃの私信

僕らが旅に出た理由


なぜ東京に来たのかという問題なだけでオザケンみたいにしてすみません。色々聞かれて答えようとしたのですがしどろもどろだったので書きました。じゃあツイキャスやらなきゃよかったじゃないの!


ひとつは元々関東での就職を考えていたからです。地元から観劇に行くのはめちゃくちゃに大変。できるだけ交通の便のいいところにいたかった。それに日本で言えば東京は芸術の街。そんなところで生活してみたかった。


あと就職したら仕事しながら演劇やったりしてみたいななんて思ってて、それにしても劇団の数の多い東京のほうがやりやすいところ見つかるだろうなって思ったのもある。


他にも、家賃高いとしても賃金高いほうが仕事やる気になるだろうとか、仕事の種類が多いとか色々。就職にしても東京近辺の方がいいのかなって思ってた。


ふたつめは単純に東京に住んでみたかった。色々あって死ぬかもって思ったときに最後にやりたいことのひとつが東京に住むことだった。だから住んだ。目的達成した、おわり。安らかに。


本当は実家かその近くに残って家族のサポートをしようと思っていて東京にはしばらく行けないなと思っていた。


でもしばらく家を空けて帰ってみたら父も弟も自分たちで弁当作って持っていけてて、家事もなんとなくちゃんとしてた。手伝うと声をかけてもさせてもらえなかったし、わたしは帰省しても洗濯物と洗い物と食費を増やしているだけだった。あれ?じゃあいらないじゃん!って思った。


父は医療従事者のため、わたしが法事等で帰省するたび仕事を休んでいた。申し訳な。今後も地元で家族に会いながら生活するならお笑いも音楽も演劇も何も見れない。2020年ほとんど何も見れずに過ごしたのに、また一年、いやあと何年こうなんだ、しんどすぎる。


だったら東京に来て1人汚染され隔離されるという捨て身の方法で劇場に行こう、ホールに行こう。


そんな感じでコロナ関係なく元々東京には来るつもりでいたし、コロナで来にくくなったとはいえ逆に来る理由にもなっていた。なので別に東京にお笑いしに来た!というわけでもない。



ただそうでもないとも言い切れないところがある。


(ここから長くなるので簡単に言うと中学時代の夢を思い出して、なんとなくやってみたくなったから、みたいなことだ)


元々中学時代のイキったわたしは演劇にハマり、脚本演出をして自分の舞台を作るのが夢だった。自分が出ることはどっちでもよくて、書いて演出をつけるのが夢だった。


そんなわけで吹奏楽部時代も後輩の曲紹介の台本を書いて振り付けまでやったりした。わたしがプロデュースしてやるから任せろ、と。その回は後輩がかなり可愛くて評判が良かった。ただものすごくイキっている。


高校で演劇部に入って演劇をやりたかったので私立は演劇が一番強いところを選んだ。勉強も学校も嫌いだったし、演劇をやりたかったので勉強する必要なんてない!とか言いながら塾に行って勉強していた。クソ怖じっててダサい。


そんなわけで頭もまずまずよかった。私立は演劇で選んだが、すごい頭悪いとこだったのかうちに来てほしいとめちゃくちゃに勧誘を受けた。来てくれるなら入学金も授業料もいらないと言われた。でも女子高で頭悪いところなのがなんか怖くて結局普通科の受かりそうな公立を選んだ。クソダサい、このときのわたしほんと嫌い。


高校は自称進学校と言った感じで、いきなり志望校を聞かれパンフレットの請求をさせられた。目指していた大阪芸大しか知らなかったわたしは3年間大阪芸大からパンフレットが届き続けることになる。


高校に入ったらレベルが上がったこともあるのか、学校が楽しくなった。クラスも居心地がいい。給食のたびに叫ぶ女も私をいじめてくる不良女もいない。(正確には私をいじめていた不良の一人と同じクラスだったのでめっちゃ怖かった)


でも思っていた以上にクラスでの生活は楽しかった。野球部の2人に席を挟まれたのがきっかけでいじられるようになり、クラスのみんながあだ名で呼んでくれたり、そんなに仲良くない陽キャの女子も、友達いなさそうな陰キャの男子も話しかけてくれる、陽キャでも陰キャでもない奇妙な存在になった。


先生から授業中にいじられたり、野球部と一緒にボケたりもして楽しかった。(不良はなんか変な目でわたしのことを見ていたらしい、正直その人がクラスにいたことは最近まで忘れていた)


勉強も楽しかった。高校の先生は教えるのが上手い。サボったし寝てたけどそれでも楽しいとは思っていた。テスト期間は毎日学校に残って勉強した。学校が楽しい。そんなことを言うことになるとは中学時代思いもしなかった。


なかでも特に現代社会の先生の授業がすごすぎて、こうなりたいと思って教員になることにした。それは教育実習で帰ってきたときにもより強く思った。じゃあなれよ。


ちなみにそれまでは進学校で脚本家になりたいっていうのが恥ずかしかったので小学生時代の夢であった助産師を希望しているふりをしていた。危うく看護体験に行かされるところだった。


高校で演劇部に入るつもりだったのに友達にホイホイついて行ったらいつのまにか吹奏楽部になっていた。3年続けた中学時代ですらあんなにやめたかったのに。結局環境が悪くて1年で辞めた。そうして演劇やろうと思ったときには演劇部は部員一名(兼部でかつ映像見てるだけらしい)になっていて入ることを諦めバレー部のマネージャーになった。


教員志望で大学に入り、演劇をやろうとした。大学の部活・サークルというのはものすごい勧誘だ。宗教勧誘やマルチ勧誘が怖いと言われるが、勢いだけでいうとこっちのほうが怖いだろっていうくらいの怖さだ。新歓というが歓迎ではない、戦だ。一年生にして文化サークル長だったわたしが言うのだから間違いない。


そんな部活動紹介の場で演劇部に話しかけられたくてウロウロしていたのに一生話しかけられなかった。勧誘の立場にもなったことがあるが、あの場は誰が一年生で誰が二年以上かわからないから一年生かわからなくてもとりあえず話しかけてはチラシを渡す作業をする。わたしも二年時、勧誘している立場でありながら何回か勧誘されたほどだ。そんな場で声をかけられもしなかった。ウロウロしていたのに。勇気を出してこっちから声をかけたのに全然喜ばれなかった。兼部できるか聞いたら「本番前は毎日稽古だ」と釘を刺され、わたしが演劇部の部室に足を踏み入れることはなかった。


その後別のサークルでたまたま演劇人と出会ったわたしはその人から稽古の見学の連絡を受け、すぐに行った。ただそこの劇団のやってる劇にはあまり興味を持てなかった。それでも手伝いくらいはやってみようと思っていたら、見に行った舞台でその人が携帯鳴らして開いて光を放出しているのをみて連絡を絶った。あんな夜に光を放っていいのはホタルと星くらいだ。


二年時、入っていた軽音サークルを離れたわたしは劇団のオーディションを受けた。オーディション会場に向かうとそこにいたのは演劇部の友人と私だけだった。関西人、都会育ち、子役の経験もあり演劇部で1年過ごした男と経験ゼロの私。ふつうに彼だけ受かって私は落ちた。そのあとの演劇フェス的なのに呼ばれたけれど、その年は頭が爆発するくらい授業をとっていたので結局バタバタで返信もできなかった。申し訳ないと思っている。


そんなわけで演劇をやる機会を逃し続けてきたため、就職後に趣味でいいからやりたいなぁなんて思っていた。しかし、巻き戻して考えて欲しい。わたしは別に役者をやりたかったわけではない、脚本家になりたかったんだ。わたしはなぜ役者のオーディションを受けに行ったんだ?書きたかったんじゃないのか?実は本当にこないだまでそれを忘れていた。意味がわからない。


文章を書くのも読むのも好きで、文学を勉強したかった、演劇を勉強したかった中学時代。潔癖症で人と食べ物や飲み物を共有することや流し台の掃除ができなかった中学時代。最近そういうのがぶり返してきている。あれ、どんどん今退化してる?


死ぬ前にやってみたいなとは思った。でも脚本なんて結局書かないまま育ったし、できるわけはない。


死ぬ前の遺書みたいな感じで書いたブログはあまりにも暗すぎて出せなかった。あぁ、もう面白い文章はかけないのだろうなぁという状態だった。


2021年、あけましておめでとうと皆が挨拶をするなかで、わたしは一人、できなかった。喪中だし。そうでなくたってなんにもおめでたくない。でも挨拶をしないのも変だしなぁ。そんな感じで文章を綴ると、その時の私は今までの闇をほんの少しばかりポップにしてみせた。成長したな、と思った。


中学時代のわたしはブログをしていてそこで三題噺をやっていた。とはいえラバーガールのおふたりのブログがそんな感じで成り立っていたのをやってみたくなったからで、三題噺という言葉を知ったのは最近のことだ。授業中はそんな文章ばかり考えていて、誰も読んでいないと言っても過言ではないブログに物語を紡ぎ続けた。


どんなだったかは照れ隠しとかではなく本当に覚えていないし、ブログが閉鎖した今では読み返すことすらできやしない。


そんなことを思い出して懐かしくなった。あぁ、またやりたい。そんな感じでnoteを始めた。


やっていて思ったのはとにかく楽しい。今まで何もしていないことが罪悪感で、その罪悪感から体調を悪くして、体調が悪いから何もできなくて、そんな負のスパイラルに巻き込まれていた。


ただこれを始めると、今までただ見ていた文章もお笑いも、演劇も映画も、インプットのひとつになった。ツイートもブログもアウトプットのひとつになった。いろんな言葉を覚えたくて、漢検の勉強を始めた。勉強してるし、何かを考えている。そう考えたら体調がよくなってきた。


あるときランダムで出していたお題が難しくなって何も思いつかなくなった。元々ポンポンと出てきていたわけじゃないから少し自信を無くしていた。


ある日の寒空の下、交通量調査のバイト中、急に話が浮かんで休憩の時間にメモを取りまくった。会話だけ作ってあとで地の文をつけようとしたが、あまりのテンポの良さに地の文をつけたくなくなってしまった。そうしてひとつの脚本ができた。ショートショートとタグをつけていたが、これはショートショートというよりは、コントだな、と思った。


会話だけ、脚本の形式をとるとより書きやすくなった。と言うのも当たり前で、小説の難しいところはそこだ。地の文のない小説はよほど腕のある人の作品でもなければ笑われる。あぁ、わたしはダメな作家なのである。


そうしていたら毎回コントのようになってしまうので修正をかけた。笑いを減らしたり、地の文を増やしてみたがやっぱり脚本で書いてるときの方が楽しかった。


コント書きたいな、そう思いはしたが別にお笑いやりたいとは思わなかったので作家になりたいと思った。でも芸人さんはだいたい自分でネタを書いてる。あれ、コント書くだけの人ってそんなにいないのかな。


わたしのイメージでそういう人はだいたい芸人を辞めた人だと思ったので養成所の説明会のzoomに参加した。でもなんで辞めるために養成所入るんだよ、おかしいだろ。


そうしたら脚本家になるためのコースみたいなのもあった。これか、とまた説明会に参加した。


わたしは舞台脚本以外に興味はなかったので、舞台脚本について聞いた。そしたら「舞台脚本は稼げないから舞台やるためにドラマや映画を書く」と言われた。


やりたいことのために確実に稼げる定職についたり、アルバイトをするとかはわかるんだけどなんでやりたくない不確実なことをしないといけないんだ!舞台が稼げないのはよく知ってたけど、それでもそこがよくわからなくて違うなってなった。


それに同じ値段ならお笑い学んだほうが書く・出るを学べるし、その他も色々学べるんじゃない?とか思った。脚本だけならいいけど演出もしたかったから、出たことない人が演出できないだろって思っていたし。


お笑いか、脚本か、どっちも違うなって思った。何がやりたいかわかってるのにこれがなんなのかわからない。こういうのって恋をしたときの「この感情がなんなのかわからない」以外では知らない。


どちらの養成所に行くのか決めないままとりあえず東京に行くことにした。


そんな感じ。


なのでまぁ、何も考えずに東京に来たというのは嘘ではない。


なにがやりたいのか。とりあえず演劇でもお笑いでもそんなくくりはどっちでもいい。脚本書いて演出して、出演はどっちでもいいから舞台を作れたらそれでいいんだと思う。


結局なにがやりたいかよくわからないまま50万くらいを突っ込める度胸がなかったし、どっちにするかとか考えるのがめんどくさくなったので養成所に行くことはやめた。通うかもしれないと思って決めた今の家だったので、だったらもっと郊外に住めば良かったと思う。まぁ、高いがその割にいい場所だ。


とりあえずフリーでやってみて、楽しかったら続けるし、就職しながらやるかもしれないし、辞めて就職しちゃうかもしれないし。そのあとで養成所に行きたくなったら来年行けばいい。そんな感じで上京して、相方探して今です。


なんで結局お笑いになったかというと、私が人を信用して任せるのが苦手なので演劇ユニット的なものを作ったとしてもうまくいかない気がしたから。全部自分でやりたいなって。


それにこんな時期に東京に突如できたよくわからん劇団の旗揚げ公演なんて誰が見にくるんだよ!


お笑いだったら賞レースやフリーライブでとりあえず認知度を上げたりして、そこから単独まで持って行ける可能性もある。その方がやりやすいだろうと思った。


しかも演劇となると1時間程度の脚本は書かなくてはいけない。書くようになったとはいえそんなに長いのは書けないかもしれない。


書いたとして面白くない1時間を作ってしまったとき消すのは容易ではない。それを何回も使えるわけじゃないし、覚えるのもやるのも大変だろう。これをほぼ誰も見てないなかでやるのは地獄だ。


ただ2分や5分のネタなら、書いても最悪捨てられる。パターンを色々考えられる。同じネタを書き直して(書き直さずとも)何回も使える。お客さんがいなければまたやればいい。あれ、コントの方がコスパがいいじゃないか!


これは決して演劇を馬鹿にしているわけじゃなくて、だからこそすごいなとやっている人たちを尊敬するという意味である。今後はよりありがたがって芝居を見ようと思う。


コントとはなにか、演劇とはなにか、色々考えた。考えたけどわかんなかった。結局演劇の短いのがコントなんだけど、何分からコントとかそういうのはない。じゃあショートコントって何分からなんだよ、みたいな。


結局はお笑いの人がやるのはどんだけ長くてもコントで役者がやったら短くても短編演劇、みたいな感じで今は区切られてるのではないか。Wikipedia参照。



話は変わるが、2月に男性ブランコさんの単独「栗鼠のセンチメンタル」を見た。すごかった。面白かった。笑ったし泣いたしもうちょいで吐くところだった。


男性ブランコさんは芸人さんである。そしてこれはコントである。コントであり、単独ライブである。


でも演劇でもあると思った。演劇ってなんだ、お笑いって、コントってなんなんだととても考えた。こういうのはもしかしたら失礼なのかもしれないが、わたしは褒めているつもりなので許して欲しい。


演劇とお笑いの隙間、そこに割と若い人たちもいるんだなと思った。しかも吉本の芸人さんで。元非吉本芸人ファンとしては衝撃だった。


その隙間、まだ通ってもいいんだ。と思った。


目指しているとかきっかけというより、なんというか気づき?みたいな感じだった。なんだそれ。


そんなわけでなんか色々やってみたいなとは思ってる。賞レースもそんなに出たくないけど出るし、あと漫才もやる。多分。いくつか書いたから。書いたからにはやる、もったいねえし。


とりあえず今のところ色々考えるのはすごく楽しい。ただめちゃくちゃ出たいタイプでもないし緊張しいの心配性なので出るのはやっぱり不安。


中高と吹奏楽やってたときは本番前は舞台袖で嗚咽が止まらないし本番で必ず一回はミスる感じだった。


これはでも緊張とか関係ないかもしれないな。いつも楽器の練習よりMCのネタ作りに時間をかけていたからな。高校ではMCする機会も演奏会の機会もなかったから楽しくなかったな。あっても辞めたけど。


そんな感じで何にも決めてないけどとりあえずお試し期間みたいな感じでやってます。それでも見てくださる方、広めてくださる方、応援してくださるみなさん、ありがとうございます。始める前からこんなに声かけてもらえるのとてもありがたいです。


今後ともよろしくお願いします。