明鏡止水

割とちゃんとまとめた感想とぐちゃぐちゃの私信

拝啓 15の君へ


6月、私は漢検を受けた。


私が初めて漢検を受験したのは中学2年生のときだった。


周りの友人が受けるという話を聞き、なんとなくで流されて受けた。


当時漢字を含めた国語科が得意だった私は三級をほぼ満点で合格した。


その頃塾に通っていた私は、塾の先生から過去問の資料などをもらい熱心に勉強した。


それが楽しくて、友達と次は準二級を受けようねと話をした。


しかし翌年、漢検が学校で受けられる制度がなくなってしまった。それでも本屋で申し込むと受けられるのだという話を聞き、友達と一緒に申し込み、勉強した。


 


その友達こそがアンジェラである。


アンジェラは部活のときに先輩にアンジェラアキに似ているということから付けられたあだ名であり、その響きの良さからみんなが呼びたがったため定着した。


アンジェラは変形を重ねアンジェリーナジョリーナジョリーナとなり、ジョリジョリと呼ばれるに至ったこともあった。


アンジェラと私は中1のときにクラスが同じになったことで出会った。その頃のアンジェラと私は最初のテストで学年順位が9位と11位の優秀な関係だった。


中学でアンジェラは吹奏楽部に入り、私も同じ吹奏楽部に入った。


私は小学校のときから金管バンド部にいたのでそのときと同じパーカッションパートを志望しており、アンジェラはピアノ経験者でその因果関係は知らないがトロンボーンを志望していた。


しかし2人ともその器から漏れ、謎のダブルリードパートにぶち込まれた。


当時ダブルリードはすこぶる人気がなく、12希望まで出す中で1112希望にオーボエファゴットと書く者が溢れた。


我々はそれを悲しんでいた先輩を思い、少し順位を上にしたとても優しい心持ち主なのだ。


しかしその優しさが災いし、希望楽器を外されたとてもとても悲しいモンスターなのであった。



その頃私は学研教室に通っていたがそこでの待遇に不満があり退会を考えていたところ、アンジェラが行っていた個人塾に誘われ、塾も同じになった。


クラス、部活、塾。そのどこにもアンジェラがいた。中学2,3年目クラスが離れても部活と塾でほぼ毎日会う日々が続いていた。



幼少期からお笑いが好きだった私だが、コンビという関係性についてはよくわからなかった。


一緒に仕事をするし仲が悪いわけでは決してない。家族より一緖にいる。でもなんとなく、隣に並んでいるのを見られたり2人きりになるのは気恥ずかしい。そういう相方という特殊な関係性だけはずっとよくわかっていなかった。


アンジェラとはずっと仲が良かったが、音楽室に集まるとき隣に座るのは恥ずかしくてなんとなく距離を置いた。


2人きりで遊ぶときはなんとなく恥ずかしかった。


仲いいよね、と言われるのがなんとなく嫌だった。こういうのを相方というのかもしれない、そう思った。我々は、少なくとも私から見たらそんな関係だった。


同じパートであったこともあり、方向性でぶつかることもあったが、それが翌日まで尾を引くことはなかった。


アンジェラは見た目も服装もオタクで、実際にも激しいアニメオタクだった。でも眼鏡を外し髪を解くと割とアンジェラアキになるのが面白かった。




みなさんは思っただろう。漢検の話はどこへ行ったのだろう、と。


話を戻すと中3のとき、我々は2人で部活に行かず漢検会場に向かった。学校以外での初めての受験。


会場には3級以下を受ける小さな小学生たちもいて、先に帰っていくときに「商店街のしょうってどうだっけ?」と話していたのを未だに覚えている。


受け終えた2人はそのまま部活に向かった。休日の部活は体操服や部活で作ったTシャツを着るのだが、受験から直で部活に向かった我々は制服だったのが少し誇らしかった。


結果として準二級は2人とも割とギリギリで受かった。2人で次は二級を受けようと話し合った。


私はやる気満々で塾の近くにあった本屋に寄り、二級の本を買おうとページを開いた。そこで突然のレベルの上がり方に唖然とした。


読み書きは覚えられるとしても部首が意味がわからなさすぎる。こんなものできるか!と思った。


私があきらめたあとも、アンジェラは1人果敢に挑んだが、私が知ってるだけで2回は落ちた。私とレベルの近いアンジェラが落ちたのを見て私はよりやる気をなくしていった。


アンジェラとは高校も同じだった。高校でも吹奏楽部に入った。アンジェラはファゴットを続け、私はコントラバスでの低音パートを経て念願のパーカッションになった。


しかし高校の吹奏楽部は中学のときとは明らかに雰囲気が違った。


同期は陽キャが多く、先輩の圧は強い。2年はガチ勢と高校から始めた勢での対立が強く、そのせいで精神的に病み部活に来られなくなる先輩もいた。


私は郷に入ってはなんとやら、なんとなくでそれに馴染みつつ活動を続けていた。


しかしアンジェラはそういうことをしない人だったので浮いていった。最初はそれを心配し、仲介のために、アンジェラをイジって「イジってもいい人なんだよ」というアピールをしてあげたり、いろんな情報を漏らしたりした。


それでもアンジェラはどちらかというとそれを嫌がって馴染もうとせずにいた。


3年の先輩が引退する打ち上げのとき、私は低音パートの先輩とご飯を食べるのを楽しみにしていた。


しかしアンジェラのパートは私のいた中学時代から変わらないメンバー。男の先輩とアンジェラの2人。


私はアンジェラと仲が良いというイメージだけで入ってあげて、とそこに放り込まれて、中学時代のダブルリードパートを再結成させた。


それもまた楽しくはあったのだけど、私は自分のパートとお別れができなかった。アンジェラが他に友達がいたら別のパートと合同でやったりできたのに。他に友達を作ろうとしないから私が巻き込まれたのだと思った。


アンジェラをこの場に馴染ませたい。そう頑張る私と頑張ろうとしないアンジェラで溝が生まれていった。


というよりも一方的に私が苛々し始めてしまった。アンジェラと私は同じような性格だが、新しい環境に馴染もうと努力している私に比べてアンジェラは努力しない。その影響が私にまで及んでいる。私はどんどんアンジェラといるのが嫌になった。


周りに仲がいいと言われるのが本当に嫌になってしまった。帰る時間をずらして一緒に帰るのをやめたし、喋ることもあまりしなくなった。顔も見たくなくなった。生理的に無理。離婚ってこんなふうに起こるのかもしれない。


念願のパーカッションパートになれたはずの私は、さらに馴染もうとパート内のいじられキャラを目指した。そしたらそこの先輩がイジるのがこの世で一番下手で、いじめに近い形になっていった。


前述したような環境の悪さもあり、私は部活を辞めてしまった。


アンジェラは「オーボエいないから戻ってきたら?」とか「文芸部とかいいんじゃない?」とヘラヘラ笑うだけで何か助けてくれたわけではなかったのでそれも少し腹が立った。


でも頑なに馴染もうと努力しないアンジェラは、なぜか同期に可愛がられた。それも悔しかった。


2人とも塾は続けてなかったし、部活でも会わなくなったし、1組と9組だった私たちはさらに距離ができた。




うちの高校は2年生からは習熟度の高い生徒は選抜クラスになる。2年の文系選抜クラスは2つ。高校に入っても勉強レベルの近いアンジェラと私はなんだかんだいってまた同じクラスになる可能性が二分の一にまで高まっていた。


私はそれを本気で危惧し嫌がったが、その予想どおりアンジェラと私は中1以来の同じクラスになってしまった。




最初私は頑なにアンジェラを避けていたが、ふと西村京太郎の話をしたときに「こんな話を聞いてくれるのはアンジェラしかいないな」と思い、また受け入れるようになった。


クラスでもアンジェラは変わらず、教室の隅の方で声が小さすぎて聞こえない者同士でつるんでいた。


それをまた生理的に無理に思うことはなかった。たまに喋る、適度な関係だった。




3年生になると選抜クラス2つが選抜と準選抜に分かれる。我々は揃って選抜クラスに入ることができた。


アンジェラは大学で県外に出ることを禁止されているタイプだったので地元の国立大学を目指していた。私は色々あったがそれより上のランクの県外の大学を目指していた。


そうして私はセンター試験で大爆死した。地元の大学すらも受けられなかった。アンジェラは地元の国立大学を受けられることになった。


私は地元よりもレベルの低い国公立を選んで受験した。確率はだいぶ低かったと思うが、なんだかんだ合格した。


アンジェラは地元の大学を割と余裕で受験したが、落ちた。地元にはもうひとつの私立大学しかなく、浪人を許されなかったためそちらに進学することとなった。


私の方がセンター試験の結果は明らかに悪かったのに、私が国立大学に進み、アンジェラが地元の私立大学に進んだ。おかしなもんだなと思った。


そこからは連絡もたまにしかとってなかったが、中学のときの部活のメンバーの4人で会うことがたまにあった。それとは別の4人組で会うこともあった。


USJに行くと、アンジェラは絶叫系が苦手なので女の子のように叫んだ。女の子なんだけど。


飲みに行くと苦手ではないのになぜかお酒は控えたりした。わざわざバスで来たくせに。こういう空気の読めないところも今や笑えるようになった。




あるとき、アンジェラは最近大学を不登校気味だという話をした。奨学金を使って大学に行っているのに単位が足りない、卒業できないかもしれない、と。


私はアンジェラを心配していた。


しかし4年になると卒業できなくなったのは私の方だった。人に会えなくなったのも私の方だった。


その夏。帰省してもほとんどの人と会えなくなった私が唯一会いたいなと思ったのがアンジェラだった。状況も踏まえて平日の昼間に個室でご飯に行った。


会う前に母親が亡くなったこととその影響で大学に行けてないことをあっさりと伝えたら、どう受け取ったのかは知らないけど割とあっさり受け入れてくれたように感じた。


現れたアンジェラは中学時代とほぼ変わらない見た目と服装だった。今までもたまに会っていたが、毎回さすがに髪を染めているだろうとか、眼鏡をコンタクトにしているだろうとか、服装が変わっているだろうとか話しては、あの頃と同じアンジェラが出てくるのが面白かった。


会うたびにもしかすると変わっているのではないかという期待と不安に襲われる。でもアンジェラは1人、あのときと同じ見た目で現れるのだ。


私はいつかあまりにも見た目が変わらなすぎるアンジェラに対して「妖怪なのではないか」という疑問をぶつけたことがあり、そのときもまたその疑問を口にしたが否定された。


そんなときだいたい「眼鏡の縁が変わった」ということを教えてくれる。サイゼリヤの間違い探しより難しい問題だと思う。



アンジェラはまだ単位が足りず、4年になっても授業が続いていた。内定はもらったが、もしかすると卒業できないかもしれない。また本当は東京でやりたいことがあるが、内定をもらったのはそれとは似つかない地元の小さな企業だと語った。


私は内定を持って、卒業するための単位も足りてはいたが、途中で就活も辞めて卒論も書いてないと言った。卒論のいらないアンジェラの私立大学を少し羨ましく思った。




ご飯を食べ終わり、電車で来た私は駅を目指そうとした。アンジェラは家の車で来たといった。そして「このあとどうする?」と聞いた。


それはさながら、童貞がこのあとお持ち帰りをしようとしている様子にしか見えなかったので私は吹き出した。そしてそのままを伝えた。


よくわからないみきゃんパークなるところに連れ込まれそうになったので近くの行き慣れたデパートでアイスを食べることにした。


アンジェラが車に乗せてくれるというので助手席に乗せてもらったが、その短い距離で私は三度ほど「危ない!」と言うことになった。


ヒヤヒヤしたが死んでも仕方ないなと思うとなんか生きてる気がした。こういう感じで自傷行為は行われるのかもしれない。




アイスを食べたその後、アンジェラは家まで車で送ってくれた。


家の近くでアンジェラが私を降ろすとき「実は色々悩んでいたから、会えてよかった」と言った。私も誰にも会う気力がなかったから、会えてよかったと思っていた。「でも自分のダメな姿で人が元気になってくれるならそれはもっと良かった」と返した。




私が教育実習でまた地元に帰ったとき、他の吹奏楽部時代のメンバーも交えて4人で会った。アンジェラはそのときも授業終わりにさらに授業の動画を聴きながらやってきた。




その後2月の私の誕生日に久々に連絡があり、そのときに卒業できる予定だと聞いた。入社の準備も整ってきていると。


それから無事卒業できたアンジェラは、入社が決まり、今は仕事をしながら、別の仕事を目指しているのかどうかは知らない。





……いや、漢検の話はどこにいったのかと。




実はアンジェラとの会食のときにアンジェラが漢検二級をとったという話をした。中学時代落ちまくった漢検に、大学に入ってちゃんと受かったというのだ。


それを聞いて、なんとなく悔しく思っていた。




それからしばらくして弟が冬休みの課題で漢検の勉強をしていた。私が中214歳のときにほぼ満点で受かった三級を高116歳にして受けていた。おっそ、余裕じゃん。しかも過去問でたまに合格点取れてなかった。めっちゃ馬鹿にした。


でもそれを見ていたらなんとなくまた勉強したくなった。


二級はもういいやと準一級の勉強を始めた。その頃授業も終わり、卒論も書いてない私はやることがなかったので勉強に打ち込んだ。


やることができたのは私の中では大きかった。


ただ引越しの準備の関係で勉強ができなくなり、いつのまにか出願締め切りになっていた。


わたしはひよって二級を受けることにした。ひよったとはいえ今更二級を受けるからには落ちるわけにはいかない。そう思うと勝手にプレッシャーは感じていた。


そして漢検を受けたのだ。







拝啓、15の君へ。


漢検二級、多分受かったと思います。