明鏡止水

割とちゃんとまとめた感想とぐちゃぐちゃの私信

世界をそっと美しく


酒飲んで何回か書こうとしたけどだめだった。


コントをやりたかった人がやってみて、ってことと、最近のお話として教育の難しさと生死の話までいけたら書くね。絶対長くなるじゃんウケる。

 


元々自分はコントを書くことがしたいと思っていた。そのコントをやる舞台を全体的に演出したい。音楽、照明等。なんなら余裕があるなら音楽作ったりしたい。全部を考えて作りたい、と思っている。



だから別に自分は出なくてもいいかなと思っている。別にお笑いをやりたいっていうわけでもなかった。コントにもコメディでないものもあると思っているので、それ以外のコントもしたかったりして。



じゃあなんでお笑いをすることになったのかというと3点ほど理由がある。前回か前々回か何度か少し話したので重複する部分があったらうざいよね、ごめん。



まずひとつめは出演者としての経験により脚本や演出の説得力が上がると思ったから。



ふたつめが最初の一歩として入りやすいと思ったから。フリーライブなどがありすぐにはじめられる。みなさんも、お金さえあればできるよ。



演劇からどう始めるかそもそもよくわからなかったけど、結局単独ライブスタートみたいなことでしょ、難しくない?しかもこの時期に。人脈や経験を手っ取り早く得られるかなと思った。今のところ全然人脈ないけど。



みっつめがお笑いはコントの本場だと思ったから。大会もあるし、コメディの場で勉強するというのはとても有益だと思った。



ほんとにやりたいこととしても単独ライブできるようになれば演劇に近いことはできるから、それでもいいかなって。



しかしながらやはりお笑いとしてのコントと演劇としてのコントは全く違うものな気がする。

  


あとそもそも出るのがそんな向いてないなって思う。それは元々思ってたことなので何も不思議はないけど。メンタル面のみならず人としての自分の魅力のなさを感じている。人がついてくるような人間じゃないので、作る側としてもこの人をどう生かしていいかわからん。



本来は自分がいいと思う人をよりよく見せるために考えることが得意なはず。それを自分には適用することはできないのかな。



あとはもうとにかく余裕ぶってるけど余裕がない。時間もメンタルもまずまずやばい。やりたいことが多い。時間も体力も足りない。漢検準一級勉強してる場合か。でもとにかく気持ちを強く持つ以外のやり方を知らない。自分、不器用なので。



でまぁコント書きたいっていいながらM-1が近づいてきて漫才書いてる。意外と漫才の方がやりやすいネタの作り方してるとは思っていたので楽しいは楽しいのだけど。やはり演者としてはまだまだなのは経験なのだろうが、人としての魅力はこれ以上底上げできる自信がないな。なんとか、ギリギリでも頑張りたい。






最近の出来事。夏休み入ったので仕事が多い。今までは昼から勤務だったけど最近は朝から仕事。6時起きで弁当作って仕事行く。でもクーラー入った部屋で子どもと将棋指してる時間が多いと考えるととても楽かもしれない。大変だけどありがたい。18時くらいまで仕事なのだけど帰って即寝てしまう。でもそんなにつらくはないかな。これは若いからだと思い込んでいる。てか多分普通に仕事してる人たちの方がすごいもんきっと。



でもバイト先には言ってないけど昼で帰ってネタ合わせしたり、休みとってライブ行ったりしてる。あんまり休みの日とかはない。空いてる時間、毎日漢字検定の勉強をする。ほんとは卒論もする。最近卒論進めてない、大丈夫かな。



基本的にはお仕事楽しいんだけど子どもを怒らないといけないときもある。私は怒鳴る先生はみんな感情に任せて怒ってるだけの人たちだと思ってたけど小学校の先生は演技してることもあるって聞いた。たしかに自分も今怒るとき演技してる。だって子どもが廊下走ってもなんもイライラはしないもの。でも危なくて怪我されたら困るから声出すって感じ。



こないだ2人で追いかけっこしてた子に注意したら私に反抗したのになぜか相手の子に手を出した。それで怒らないといけなくなった。ちょっと障がいのある子みたいで、話聞かないでわたしにも手を出すし、暴言を吐き、唾かけられた。正社員の先生がきて代わりに注意してくれるんだけど、怖めの先生でかなり怒鳴る。ドナルドダック。今こういうのいらないね。



反抗するからなかなか話聞かなくて長引く。手を出した子だけじゃなく注意してくれた先生にも謝らないとって話になって、わたしにも謝罪する流れになった。正直めんどくさいからいいんだけどそういう指導だったから手を出したことや唾はいたことも謝ってもらうことになった。けどなかなか謝らないでまた先生登場。そこでも時間かけてやっと謝ってもらって、なんとか解決した。



したんだけど、その先生に「話が長い、集中力がない子だから簡潔に」「腹がたったタイミングで怒鳴っていい」「もっと感情出さないと伝わらない」などと指導の指導をされた。



たしかに一気にこれもこれもってやったこと確認して、それ謝ってってなったら拒否してって繰り返したりしてたから、一つずつ謝らせたら良かったなぁとかは思っていて、若干反省した。



だけど感情が出せないのはなかなか仕方ない気もする。私はいつからかマイナスの感情しか出せないのだ。喜怒哀楽が哀哀哀哀って感じ。まあでも演技で、という意味であればもっと演技しないといけないのかもしれない。 



でも感情的にカッとなるところで怒鳴りつけなって言われたのはやっぱちょっと違和感。



元々私は高校教員志望だったから、そのときに教員としては怒らない教員になりたかった。うちの高校はそれなりだけど進学校だから絵に描いたような不良はいない。基本進学してちゃんと就職したい人が行くところ。元々怒られるのが嫌いなのもあり、怒られなくてもやるから、って思ってて、特に「怒鳴る」などの威嚇行為をしなくても指導ってできるんじゃないかっていうことを勝手にテーマにしていた。



もちろんそれは比較的頭の良い高校での話で、小学校や中学校だと分けが変わってくることは想像に難くない。



だから怒るとき、声をあげることもある。でも他の見てる子がびっくりしないようにっていう配慮はあってあまりにびっくりするような声の上げ方はしない。腹が立ったら怒るのではなくて、例えば「同じ行為を何度か注意しても直らない場合」はさすがに声をあげる、「手を出した場合はとりあえずそのことを謝らせてから話を聞く」などというようにしている。



「カッとなったら怒鳴っていいよ」って言われて私は少し狼狽えた。なんて言っていいかわからなくて。そしたら先生が「何回かそんな場面あったでしょ?」って言う。正直まあ唾かけられたりして嫌な気持ちにはなったけど、別にカッとはしなかった。してもそれは抑えてから叱らないといけないと思っているし。それで戸惑い続けていると「先生心広すぎるよ、私が心狭すぎるのかもしれないけど」って呆れたように言われた。心が広すぎて怒られることってあるんやな。



個人的にはその先生が子どもに「バカなの!?」

とか「そんなの赤ちゃんだよ、◯歳には見えない3歳くらいだよ!」みたいなこと言ってたのちょっと良くない言い方なんじゃないかなって引っかかった。



てか怒ってたのに怒られた私はめちゃくちゃ凹んだし泣きそうだった。ちょっと涙目。怒られるのも怒るのも嫌いだから出来るだけ怒らないようにしてるのに。手を出したとしてもそれは謝った上で、とにかく話を聞いてあげよう、否定しないであげようとか色々考えて指導してるの考えすぎなのかな。



私はずっと気にしいなのでちょっと注意されただけでも凹む。7月はメンタルが疲れてしまったのでその先生に「こうして!」ってこと言われただけで家でめちゃ泣いてしまった。そんな気にしいだからこそ注意の仕方にも細心を払い、でも払いすぎていたのかもしれない。自分の繊細さからくる気の遣いが全てに込められていたから、あの注意した後の「話長い!」っていうのはもはや人格否定だった。



感情がないのも起伏をつけると疲れちゃうから。ただでさえ気分が落ち込むのに、頑張ってテンション上げると反動でそのぶん下がる。私がもしプラスの感情もうまく出せる人だったら双極性障害なっちゃうよ。私にプラスの感情がないからギリギリ躁状態を回避しただの鬱で済んでいるから生きてるんだから。これでハイになったら死んでるよ。感情出さないことでめちゃくちゃに生きてるんだよ、自衛なんだよ。



でも子どもってほんと気にしない。怒られても「はーい」って感じで本気で凹んだり気にしてそうな子ってあんまりいない。そもそもそういう子は注意されるようなことしないかもしれないけど。



私はちょっと注意されただけで気になる。走ってて「危ないよ!」ってちょっと声上げられたらきっとその日はずっと引きずると思う。でもみんな忘れてすぐ走る。私ももしかしたらそんなこと忘れて走りまわっていたのだろうか。



少なくとも私の記憶では昔からそうだったからずいぶんと生きにくかっただろうと思うと悲しくなった。よくここまでやってこれたね、えらいよ。



でも逆に今後も生きにくいだろうなって思ったのでこれがあと何十年あるんだろうと思うと途方もなかった。いや、今年中に、明日に、今だって死ぬ可能性あるわけだけど。



まあでもどうやってもきっとしんどいので無理してでも頑張るしかない。どうせこんなにストレス受けて生きてたら長く生きやしないんだから、明日死んだらそれはそれで仕方ないってことでいいんじゃないかな。元々死ぬ前にやりたいことやり始めてる結果が今なんだし。



もっと気にしないで生きたいけど多分そういうの無理だから。長く生きようとしてる人たちより私は今を生きてるし常に死を見て生きてるよ。気にしながら全力で生きて死ぬんだよ。毎日、明日死んでもいいって思って生きてるよ。明日もまだ生きてると思って生きてるやつより絶対一生懸命死んでやるよ。



本当は近況として映画フィッシュマンズ観に行った話から死の価値について論じたかったところだけど長くなりすぎるといけないからやめよ。また今度。