明鏡止水

割とちゃんとまとめた感想とぐちゃぐちゃの私信

鬼の錯乱


観劇オタクだからといって、これは別に感想を書くためのブログとかではないのです。


ただ文章トレーニングをする場です。

うんこ要素のないうんこ漢字ドリルみたいなものです。


それはふつうの漢字ドリルか。


さてこれからなんの話をしよう。


現在の話、過去の話、未来の話


来年の話をすると鬼が笑うといいます。


鬼が笑ってくれるなら来年の話もしたいものです。

映画「鬼が笑ってくれるなら」


ありそう。


ないか。


でもまあ何年も前からオリンピックの話とかしてますしね、鬼も最近なんかすげぇおもしれぇなぁって感じでしょうね。


年末年始のお笑い番組ラッシュみたいな。


晦日と正月が一緒に来たみたいだよ、って。

あれはいつも一緒に来るんだけどね。


僕たちはいつも一緒だよ、と。

一生一緒にいてくれや、と。

病めるときも、健やかなるときも、愛することを誓います、と。


しかし鬼が笑うの笑いは嘲笑の意らしいですよ。


鬼「あいつ来年の話してて草」


みたいなことのようです。


鬼といえば節分ですね。

わたくしの誕生日はちょうどその節分の日です。


節分といえば豆まきですよね。

でももうこの年になって豆なんて撒かないし年の数の豆を食いもしません。


でも幼稚園のときは豆まきを毎年したものです。


それはバスのおじさんが鬼の格好をして教室を襲う不審者対策訓練のようなイベントでした。


自分は気が弱く怖がりで、毎年号泣するタイプの子どもだったので誕生日なのになぜ泣かされに行かないといけないのかと幼心ながらに疑問を持ったものです。


しかしながら年長さんの年、もうすぐ小学生ですし、その年に弟が生まれたし、ひとりっ子の甘えん坊さんでもいられなくなったわけです。


そういうわけもあって、この年は泣かないと決め、立てかけた机に籠城する作戦を立て、友人たちと隠れておりました。


前線の園児たちが撃退してくれるため、机の裏までは襲ってこないと思ったのです。


しかしそこは鬼。


そのような卑怯な手が許されるわけもなく、前線の園児の投げる豆をものともせず、ぐんぐんと向かってきます。


先頭を切って立ち向かっていく園児の中には連れて行かれそうになる者もいて、まじで怖かった。これはまじ。


しかしなんとか鬼に触れられることもなく、初めて泣かずに耐えることに成功し、晴れて大人の第一歩を踏み出したような自慢げな気持ちで家に帰りました。


多分親に「泣かなかったよ!」とか言ったことでしょう。


しかし毎年、うちの幼稚園の節分イベントは地元のテレビ局がカメラを回し、夕方のニュースのトピックになります。


家に帰り、ニュースには鬼に泣きじゃくる年少さんの姿。

勇敢にも鬼を追い払う前線男児の姿。


そして机の裏に隠れる我々の姿。


アナウンサーの「机に隠れる子どもたちも」というナレーションとテロップが我々の卑怯さを際立たせるようでした。


いや当時は可愛い子どもたちの映像だったんですけどね!


あと大きくなってからもニュース見たけどふつうに怖いよ、あの鬼。


特に怖いのが黒鬼。


色とりどりの鬼の中で圧倒的ボス感を放つ黒鬼。あの顔面はふつうに怖かった。


そんなわけで思いがけず鬼の話になりまして、

鬼の目にも涙、鬼に金棒、と言った感じでしょうか。まさに、鬼の首をとったようです。

鬼も笑わされたり泣かされたり、斬首されたり、大変だなぁ。



今日の嘘ことわざのコーナー

鬼の十八番曲もB'z

(鬼もB'zくらい聴く、という意味)